日本の面積の67%は森林だ。私たちは食べもの、飲みもの、着るもの、住む場所など、さまざまな自然を享受しているが、直接的に森林フィールドに入ることは少ない。
日本は暮らしや生業として自然と関わってきた。1000年ほど前は宗教が生まれたりした。もっと遡ればさかのぼるほど、渾然一体だっただろうと思う。
近年、わたしたちは川に入ることも、火を起こすことも無くなった。さまざまなことが安全をもとに禁止され、森林フィールドとの境界は土砂災害を防ぐためのコンクリートによって壁が作られた。
森は一部を除いて、所有者にとって何も生み出さないしどこにあるかもわからない負債になってしまった。今後も今までのように労働集約的な山との関わり方は、限られた人々が行うだけだろう。
打って変わって、近年、キャンプなどの自然を体験するアクティビティに向かう人々が増えている。全ての人とは言わないが、ある一定数の人々にとって、自然で体験することに価値があると体感したり、直感したりしているからだ。もちろんデータも自然に入ることの価値づけを手伝っている。
自然体験の価値が高まっている。それは新たな資産的な価値の発生だろうか?私はそうはしたくない。お金を多く出せる人だけが、自然を体験できる世界が素晴らしいものだろうか?私はそうは思わない。
日本に住んでいる、もしくは訪れる誰もが、自然を体験することができる。焚き火をしたり、キャンプをしたり。さまざまな発想を得たり、のんびりしたり。自然とそれぞれの形で程よく関係性が育まれている。そのような世界が見たいと思っている。
実はそのような仕組みは、北欧では150年も前からeveryman’s right(自然享受権)という権利として実現している。私は日本にあった形でeveryman’s rightを作りたいと思う。
自然がゆっくりと確実に林相を変えていくように、誰もが気づかないうちに自然と接続されている世界を作りたい。
意味や価値を勝手に見出すことほど楽しいことはない。
アラハラスヤッホは、人が山に入る理由を作る会社です。現在は主に森林整備を行なっています。2022年10月より、会員制の自然享受権の提供を始めます。
私たちが今行っている県や国が補助する森林整備は、人が入らなくなり発生した「厄介な土地」という問題を改善する目的があります。放置された山は災害を起こす可能性を高めるからです。
その「厄介な土地」に日々足を踏み入れていると、決して同じではない無数の素材や空間に美や意味を見出している自分に気づきました。山の素材や空間のように、意味の定まっていないものは、自由に意味を見出す余白を持っています。私は放置されている山々を「意味から解放された土地」としてポジティブな捉えるようになりました。
意味から解放された山は、個々人が自由に意味や価値を見出して楽しむ余白が生まれたのです。私は宗教や文化、多くの芸術、発見がその余白から生まれたのではないだろうか?と考えています。
山は意味的なフロンティアです。ただ余白のある広大な空間が、私たちのそばに広がっています。アラハラスヤッホは、そのようなフロンティアに飛び込む人々のためにありたいと考えています。
代表社員 吉田泰志